2011年10月30日
就職について NO2
夏休み頃から就職だけでは進路が狭くなると思ったので、
この当時福祉工場、・授産施設・福祉作業所なども視野に入れました。
状況は私が光明養護学校卒業した当時と変わらず、
肢体不自由ということになるとどうしても限定されてしまうのです。
できることならパソコンで仕事がしたいとという気持ちがあったので、
センタでやっている内容だと同じところにある
「ワークショップかたつむり」作業所しかありませんでした。
かたつむりでも悪くはないのですが、環境を変えたかったのです。
できることなら将来健常者の中に入ってやってみたいという気持ちが強かったので、
一般就労しかないという思いでした。しかし私の場合職安にいけば、求人はありましたが、
職安の人に相談しても、ことごとく断られて、むなしい思いでした。
私のように重度障害者の場合は就職を推進するところもはずが、あきらめさせるところに思えてきました。
この当時福祉工場、・授産施設・福祉作業所なども視野に入れました。
状況は私が光明養護学校卒業した当時と変わらず、
肢体不自由ということになるとどうしても限定されてしまうのです。
できることならパソコンで仕事がしたいとという気持ちがあったので、
センタでやっている内容だと同じところにある
「ワークショップかたつむり」作業所しかありませんでした。
かたつむりでも悪くはないのですが、環境を変えたかったのです。
できることなら将来健常者の中に入ってやってみたいという気持ちが強かったので、
一般就労しかないという思いでした。しかし私の場合職安にいけば、求人はありましたが、
職安の人に相談しても、ことごとく断られて、むなしい思いでした。
私のように重度障害者の場合は就職を推進するところもはずが、あきらめさせるところに思えてきました。
Posted by hiromistory at
22:17
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